アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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東ドイツの映画『嘘つきヤコブ』1974年(ユレク・ベッカー原作小説1969年) アリアドネ・アーカイブスより

東ドイツの映画『嘘つきヤコブ』1974年(ユレク・ベッカー原作小説1969年)
2018-04-28 11:09:30
テーマ:映画と演劇

――福岡大学市民カレッジドイツ語圏
「映像に見るヨーロッパ文化」より
昨今の国立大学等に於ける
文部科学省教育の行政的仕組みのなかで
文化の香り漂う、かかる企画を継続されておられる
私立大学の関係各位様に感謝の意を奉げます。

 


 1974年の東ドイツの映画『嘘つきヤコブ』、良い映画だと思いました。 
 映画は三層構造になっており、メインの主題は映画の映像で描かれているように、大戦下のポーランドに於けるホロコーストを描いたものです。映画の作り方は、全員が収容所送りになり、ゲットーと云う町そのものが地上から消滅するお話ですから暗い話になるのは当たり前のことですが、原作や映画を製作された人々の感性によって、ユーモラスにも哀歓こもごも描かれています。そういう意味では、――わたくしには随分違った映画であると云われるのかもしれませんが『ライフ・イズ・ビューティフル』に似ていると思いました。一方の映画は、悪に立ち向かう抵抗の原理として笑いとペーソスを、この映画では”聖なる嘘”と名付けられたもののために。

 しかしこの映画を”聖なる嘘”と言ってしまっては言い過ぎになるのですね。と云うのも、この嘘は本当に良いものであったのかどうか。一時的にはゲットーに生きる人々に希望を与え、自殺者や精神疾患を防ぐことにはなったとはいえ、結局、誰もが救われることはありませんでしたし、希望を裏切られたことによる失意は、個人の受け止め方によってはより大きな痛手となったことも容易に想像できるからです。
 収容所生活を描いたものには有名なフランクルの『夜と霧』などがありますが、その本でフランクが主張していることは、たんに希望を持つと云うことではなく、人の心の痛みが分かるナイーブさほど、強制収容所のような過酷な環境では、なぜか粗野で粗大な性格の持ち主よりも、より長く生き延びたと云うことであって、言説が気分の持ちようなどと云う次元ではなく、実存と云うレベルまで降りてこないといけないわけです。この映画がフランクルの同書が提起したテーマを踏まえていたか否かと云うことになると、原作である小説をも併せて読んで結論を出さなければならない問題でしょう。
 
 先に私は、この映画作品の三層構造と云いました。一つはいま述べたように、大戦期のゲットーに於ける”聖なる嘘”が齎した、様々に描かれた波紋の物語です。
 二つ目は、ユダヤ人の遠い記憶の彼方にある、旧約の時代に於ける嘘の問題です。つまり、元来ユダヤ教と云う宗教自体が一つの、大いなる”聖なる嘘”でありますから、宗教がユダヤ人の固有の運命と如何なる関係にあり、彼らにとってだけでなく、一般論としては、宗教自体が人類に対して持つ意味如何、と云うことになるのだろうと思います。そうした、普遍的に拡がる問題をこのテーマは抱えています。
 三番目は、この映画が製作された1974年なり、1969年と云う年ですね。1969年と云えば、チェコプラハの春の翌年と云うことになります。この時期を描いたものとして、わたくしたちには既に『存在の耐えられない軽さ』は単に知っているという以上の、日本人の経験の一部ともなり得るほどの知名度を一部には保っていることは周知のことです。『存在の耐えられない軽さ』はプラハの春以降の、密告的観察社会となった東欧の現実を描いています。同様の事情は東ドイツではもっと過酷で典型的であったことは近年の『善き人のためのソナタ』などの映画にも描かれて話題になりました。つまり、東欧共産圏に於いても、東ドイツの格別の位置は、監視型社会の優等生とクレムリンからも絶賛されるほどの”充実度!”を見せていたのです。
 この映画の唯一の欠点は、折角の東欧に於けるプラハの春以降の現実を描くのに、通常のホロコーストの映画の一般性を描くにとどまってしまったと云う点です。これは映画と監督の限界であったのかもしれません。原作ではきっとこのようではなかったものと信じます。

 最後に、技術的なお話を一つ。セットのモノカラーを中心とした映像は、製作者の意図を裏切って、わたくしたち西側の平穏で平俗な社会を生きるもの達の眼には、後期印象派の絵画を鑑賞するように、かえって美的に映じてしまった!と云う点です。もう一人のヒロインである少女もまた、可愛すぎました!(笑)
 舞台セットも、俳優たちの衣装と同様に、戦時下の貧しい暮らしや荒れ果てた生活風景を描くのに、至る所に傷や欠損を配置してありましたが、それが如何にも付け足しのわざとらしさが際立って、セットの稚拙さと相反する上手すぎる俳優陣との間のギャップが目立てしまう結果となっていたようです。
 まあ、色々と云いましたが、最近の映画などに比べれば遥かに良い映画ですので、観ることをお勧めしたいです。見終わってから少しだけ人としての優しさを思い出させる映画なのです。