アリアドネの部屋・アネックス / Ⅰ・アーカイブス

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わたしの東京物語 (1) アリアドネ・アーカイブスより

わたしの東京物語 (1)
2019-05-29 22:50:14
テーマ:映画と演劇

東京物語と言えば、小津安二郎。高度成長期直前の、まだ豊かさが実感としては感じられない「戦後」のひとコマを描きました。ほぼ半世紀後、現代日本映画界を代表する第一人者である山田洋次によってリメイクされましたが、まるで違った作品になりました。違いは意図されたものではなく、山田自身にも意識されていなかったという意味で、かえって時代の世相の変貌と変質を印象づけました。高度成長期の思想とは企業人たることを前提とした集団主義イデオロギーであり、かかる意味あいにおいて所詮は戦前戦中の滅私奉公的イデオロギーの戦後版的焼き直しであり、その反作用としてある種の安全弁、気圧抜きの機構として家族第一主義を補償作用として生み出さざるを得なかったのだが、山田の家族主義イデオロギーは高度成長期の護符的補完性に過ぎなかったようである。自らは意図しなくても、間接的にではあれ時代や世相の支配的な思想を補完するような山田の映画が何故大多数の庶民の共感を得たかと言えば、寅さんの独特なキャラクター、ーー俺はこんなにバカなんだ、と言う自虐性に寄って、山田の言わずもがなの凡庸思想が適度に薄められ、見るものにも聴くものにも苦味が抜き去られて心地よく受け止められたからである。しかしながらかかる言説が臆面もなく正面切って持ち出されてしまうと、『東京家族』のように、思想や個人の自由度を抑圧しかねない押し付けがましさ、窮屈な教訓映画と成り果ててしまうのである。